高野山はいうまでもなく、弘法大師(こうぼうだいし)空海が開いた真言宗の総本山です。高野山には「高野七口」と呼ばれる7つの道がありますが、そのうち九度山を結ぶ参詣道(さんけいみち)が町石道(ちょういしみち)です。道中には高さ3メートルを超す五輪塔が昔の面影をそのまま残して佇み、道しるべとなっています。弘法大師がこの道を開いたとされ、女人禁制で山に入れず慈尊院にとどまる母親に会うために月に九度この道に通ったという逸話が残されています。
最近単独で黙々と登ることが多かった私ですが、ふとした出会いから同行者とともに歩むことになりました。さてどんな出会いだったのでしょうか?2024年11月の山行です。
■高野参詣道町石道 2024/11/9
南海高野線九度山駅(7:20/7:45)慈尊院(7:50/9:45)丹生都比売神社(9:55/12:20)矢立(12:30/14:10)大門
1.南海高野線で九度山駅下車 真田庵から慈尊院へ

南海なんば駅を午前6時に出発する急行で橋本へ。橋本で極楽橋行きの普通に乗り換えます。九度山で降り身支度を整えさっそく出発です。

九度山は富有柿の産地で、この日は大収穫祭が開かれるのです。紀ノ川の向こうに見える山は和泉の山並みです。

九度山は関ケ原の戦いで敗れた真田昌幸と真田幸村が蟄居した場所として有名です。真田庵はその蟄居後に建てられたお寺で、最近は修繕のためクラウドファンディングで寄付が募られたそうです。

真田庵を出てしばらく行くと道の駅があり、大収穫祭の準備に追われているいるようです。皆さんお揃いの六文銭が書かれた真っ赤な法被を着込んでいます。道標に導かれてしばらく行くと慈尊院(じそんいん)です。
2.町石道は慈尊院からスタート

慈尊院は高野山の出発点にあたるお寺です。高野山は女人禁制だったため、弘法大師の母親は慈尊院までしか来ることができませんでした。弘法大師は月に九度も母親に会いに来たということです。なんと親孝行な…

さて町石道へと参りましょう。慈尊院から階段を上がりまずは丹生官省符神社に。もう迎春準備が進んでいるのかと思ったら、よく見ると大きな絵馬は龍ですね。そらそうか(笑)。

右手に降りる道を行くと立派な五輪塔がありました。町石道は(根本大塔まで)この五輪塔が180基も建っていて、五輪塔をたどると高野山へ誘ってくれる仕組みです。

目にした五輪塔は179番目のもので180番目はさきほどの階段途中だったそうです。そんなものあったかな?気づきませんでしたが、「まあ、いいか」とそのまま進むことにします。

ため池と柿畑のそばを通って小高いところに出ると橋本の町並みを見下ろす絶景がありました。この辺りからでしょうか、遍路笠、白衣に金剛杖の男性と話ながら進むようになったのは。
3.お遍路さんと町石道を登る この方早かったです💦

話をしていると、男性は四国八十八か所巡りを終えられたばかりで、本日弘法大師さんに「ご報告」のため、高野山を目指しているのだとか。四国へは計15回、総日数45日ほどかかったとのこと。すごいな。

そして男性はさすが、早い!年齢は私よりも同じくらいかやや若いかもという感じでしたが、スタスタ歩いて行かれます。
六本杉の分岐を右にとり丹生都比売(にうつひめ)神社へ。


神社では、七五三の家族連れがいたり、大型バスが駐車場にありました。全く忘れていたのですが、こちらの神社はかなり前に来た事を思い出しました。当時は閑散としていた覚えがあるのですが、この賑わいは世界遺産に選ばれたこその賑わいと言えるのではないでしょうか。

それからもお遍路さんとはともに歩きました。初対面なのに気兼ねもなくいろんなお話をする事ができました。古峠を越えたところで展望台があり、ここでようやく休憩をとります。2人とも行動食をテキパキと食べ(バナナを2人とも食べていた笑)、またすぐに出発です。

二ツ鳥居は横に並んで立っていて想像と違いました。どうして並んでいるのだろう?

二ツ鳥居で迂回路の案内がありました。どうするか2人で協議しましたが、他の人たちも進んでいるし、「ごめんなさい」と断って、自己責任で迂回せずに町石道を進みました。結果は斜面が抜けて工事中のところがありましたが、注意深く進み、無事通過できました。


迂回路はゴルフ場の脇をしばらく進みます。私全くゴルフをやらないもんですからわかりませんが、やったら楽しんだと思います。イメージとしてはスキーみたいなもんで、「こうやったらもっとうまく打てるように(滑れるように)なるのでは?」なんて四六時中考えてそうです。知らんけど(笑)

神田地蔵堂で迂回路と合流します。褒められたものではないでしょうが、まあ結果的には迂回路に行かずに済んでよかったです。

やがて笠木峠に到着。町石はこの辺りで90を割りましたから、ようやく半分を過ぎました。この道は特に急登と呼ばれるところがないので、楽っちゃあ楽なんですが、とにかく長い。早く着きたい気持ちが湧いてきました。そうこうしていると国道370号線と交わるところに柿の直売所と茶屋が見えました。矢立(やだて)です。
3.矢立茶屋でやきもち 町石道を高野山・大門まで

矢立茶屋ではやきもちを一緒に食べました。よもぎ餅と普通のとあり2つで240円でした。コミックの「美味しんぼ」103号に本店の掛商店が取り上げられているとのことです。薄い餅の中に餡が入っていて、素朴な味わいで美味かったです。それとお茶が嬉しかった〜

さあそろそろラストスパートと気合を入れて出発です(ラストなんてもんじゃなかった)。

ドライブウェイを横切ったりして、到着が近いのかと期待させますが、実はまだまだありました。


32町石から34町石は通行止めとなっていて、今度は迂回路を使うことにしました。国道480号線に一旦上がると、そこにいた女性が「あと少し、頑張って」と声をかけてくれました。

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また町石道に戻ります。さっきまで「もう近くだ」という気分になっていましたが、車の音もしないようになり、なんだか寂しくなって来ました。さすがに2人とも口数が少なくなってきました(笑)

渓流沿いの道から急登となりました。ついにエンディングを迎えるのか?
お遍路さんはラストスパートとあってスピードをあげたようです。私はというと、水分補給がさほどできていないからか、足が攣りそうです。体重を垂直にかけるように心がけてなんとかごまかし登り切ると…大門が目の前に現れました。高野山の西の入り口の正門です。現在の門は1705年に落慶したものを昭和57年から3年かけて解体修理したものだそうです。

「やっと、着いた〜」午後2時10分ですので駅からおよそ7時間かかったことになります。
お遍路さんはこれから大事な儀式、四国八十八ヶ所のご報告があるので、ここでお別れします。初めての方と山行をご一緒するのは、実は生まれて初めての経験でしたが、ずっと尽きることのないおしゃべりができてとても楽しかったです。自分ってこんなに開放的な性格だったかなと、意外でした。
あとは高野山の壇上伽藍や金剛峯寺を見学し、まだ数少ない紅葉を見つけては写真に収め、15時半ごろの臨時バスに乗って帰路につきました。その様子は下記の別ブログで書いたところです。
町石道。この道を弘法大師が母君に会いに月に9度も通ったと考えると、自分の母親のことが思い浮かび、いつになく神妙な気持ちになるのでした。
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