
東赤石山の紹介
四国・愛媛県の石鎚山脈から伸びる山脈を笹ヶ峰まで辿り、そこから北東へ伸びる支脈を法皇山脈と呼んでいます。西赤石山、東赤石山、ハネヅル山、赤星山と連なる山脈です。このうちハネヅル山から西は赤石山系とも呼ぼれています。最高点の東赤石山は標高1,710mで日本二百名山に数えられています。
以前、雑誌「山と渓谷」の紅葉特集でこの西赤石山から東赤石山に縦走する記事が載っていて、カラマツの黄葉がとてもきれいな写真がありました。いつか行ってみたいと思い続けていました。
それと、もう一つ山行を決意した要因はクマです。四国のツキノワグマは16〜24頭(2017年調査)が剣山一帯で確認されたのみ。絶滅危惧種に指定されていて、頭数の増加が指摘される東北とは様相が違うようです。登山する側としては安心できる山域です。
アプローチ
新居浜から「別子山地域バス」が出ていて、片道大人400円で利用できます。マイクロバスでの運行で人数に限りがあるため、あらかじめ予約したほうが安心です。詳しくは新居浜市のHPをご確認ください。
私は大阪から夜行バスで松山市駅まで行き、JR松山駅まで歩き、松山駅から電車に乗って新居浜まで移動して、9時6分新居浜駅発のバスで10時12分に筏津に到着することができました。(長い…)
帰りも同じくで、日浦発14時の地域バスで14時55分に新居浜駅に到着しました。大阪へは高速バスという手段が一番安上がりですが、私は特急+新幹線という誘惑に負けてしまいました(笑)
東赤石山から西赤石山への縦走コースタイム
1日でスルーしてしまう方もいますが、公共交通を使い、余裕を持った行動をと考え、次のような計画としました。コースタイムは山と渓谷付録のマップを参照しました。
1日目:筏津登山口から赤石山荘跡までは2時間35分、赤石山荘跡から八巻山経由で東赤石山まで1時間、東赤石山から赤石山荘まで35分。合計4時間10分。
2日目:赤石山荘跡から石室越経由で西赤石山まで1時間50分。西赤石山から銅山越経由で日浦登山口まで2時間35分。合計4時間25分。
■東赤石山から西赤石山縦走 2025/10/23-24 実歩行タイム
1日目:筏津(10:20/13:25)赤石山荘跡(13:50/14:40)東赤石山(14:50/15:20)赤石山荘跡
2日目:赤石山荘跡(6:50/8:25)西赤石山(8:30/9:50)銅山越(10:00/12:35)日浦登山口
※1日目は瀬場谷のルートを見失いがちでコースタイムオーバー。2日目は銅山越から別子銅山跡の見学でゆっくりしてタイムオーバー。
1日目:夜行バスで松山市駅、JRで新居浜、地域バスで筏津へ

阪急三番街の高速バス乗り場を前日深夜に出発して、午前5時10分ごろに松山市駅(伊予鉄道の駅)に到着。当然ながらまだ真っ暗です。
そこからJRの松山駅まで歩きまして、5時53分発のJR予讃線の普通に乗ります。途中からは電車通学の学生さんらが多く乗ってきましたが、予定通り8時11分に新居浜につきました。

9時6分に定刻通り地域バスがやってきて、乗り込みます。筏津までバスに揺られます。こんなアプローチする人は他にいないと思っていたら、もうお一人いらっしゃいました。バスを降りて2人とも「ここまで長かった〜」と感想。その方は、1日で縦走して銅山峰ヒュッテまで行くとのこと。ヒエ〜、すごい。

1日目:瀬場谷ルートで想定外の時間ロス 赤石山荘跡へ

筏津の登山口には多くの看板がたっています。「単独登山は絶対やめましょう」なんていうのもあります。
最初は植林地を緩やかに登って行きます。

やがて、瀬場からの道と合流します。この辺りは割と緩やかになります。

この先ずっと沢沿いを歩くので、早いと知りながら、やはり早めに水を汲んでおこうという気になりました。2リットルボトルを満杯にします、そこまでしなくても言われそうですが、安心感がすごい。

途中には時々鎖場も現れました。と言っても「下りに雨でも降られたら使う」くらいのものです。

道はどんどん沢より高くなってきたなと思ったら、右下に一条の滝が落ちていました。地図にある八間滝でしょうか。

途中にあったのが、下の写真。左のロープがないとあまりの怖さにしゃがんでしまいそうです。

木橋を渡って一段上がると、標識が現れました。わたしは山荘経由瀬場谷コースを行きました。あとで東赤石山の山頂で出会った人によると、東瀬場谷コースも岩場などで道がわかりにくかったとのことでした。

だんだんガスの中に突入していく感じです。ルートも踏み跡程度で、行きつ戻りつする具合で、思うように進みません。「なんか間違ってるかなオレ」と自信消失。迷ってテープを見つけては安心する行程です。

やがて空が明るくなってきました。ガスの中を抜け出したようです。

ガスを抜けるとお天気は良くなってきました。なだらかな傾斜となり、雨がふれば水が流れるのだろうなという道を進みます。ここでもちょっと道は不明瞭でした。

やがて赤石山荘跡に着きました。管理人の方が体調不良となり、山荘自体は老朽化が進み、公営への移管を目指しましたが叶わず、2019年12月より閉鎖となったようです。

山荘周辺は幕営禁止ということなので、左手の樹林帯がおそらく幕営指定地だと決めて、モンベルのU.L.ドームシェルターを張ります。
携帯トイレでの自己処理、水場の保全、ゴミ処理、たき火しない、山荘を壊さない、無断立ち位置禁止が呼びかけられていました。


1日目:八巻山〜東赤石山は岩稜で「難路」ルート

テントを張り終えると、東赤石山にアタックです。「難路」との標識がある八巻山の鞍部に突き上げる道を選びます。
八巻山に行く途中にも、赤味の岩が多数あります。カンラン岩と言われる岩なのだそうです。

八巻山はすごい迫力だ。右手に◉のように見えるところがあったのですが、北アルプスのようにルートを示しているわけではありません。地衣類か何かわかりませんが紛らわしいですね。

鞍部にある、良いバランスの岩。長い年月かけてこんな形状になったのですね。

鞍部に着いたら、一旦左に巻くように踏み跡らしきものをたどって行きます。下の写真では左の切れ込みを目指して進んで行きました。

前方が開けると行く手に東赤石山?が現れました。

左から回り込むようにして稜線に上がると、そこが八巻山の頂上でした。真新しい銀色の祠があります。

そこから東赤石山には何度もアップダウンがあります。

下の写真では真ん中やや左の赤色の踏み跡を辿ります。

東瀬場から来るルートと合流してからすぐで東赤石山の山頂に着きました。これまで人には会ってきませんでしたが、山頂には2パーティーがいました。登山口であった方はずっと先に行ってしまったようです。なるほどそれくらいのスピードで登っているのだ。すごいな。
さて東赤石山の標識があるところでしばらく過ごしたのですが、三角点はもう少し東にあることがわかりました。せっかくなので訪れます。

三角点から最高点に戻り、八巻山を経由せずに赤石山荘跡を目指して歩きます。
この日はサバ缶とおつまみで日本酒をいただきました。最後に尾西のカレーピラフ。

2日目:前赤石山の巻道もやや難〜西赤石山へ

2日目は赤石山荘からそのまま稜線に上がります。6時50分ゆっくり出発です。
全体的に紅葉にはまだ早かった。けど、ところどころ赤みを増している木々がありました。

これから歩く稜線と、彼方には石鎚山系の山が連なる。

情報収集が甘いと言われればそれまでなのですが、前赤石山の巻き道は想定外の険しさでした。

下の写真にもあるように、岩棚を拾っていくような道で、特に道標もありません。致命的なことにはならないとは思いますが、注意必要ですね。

やがて西赤石山に着きました。山頂は北側の展望はありませんが

少し下ると絶景が待っていました。新居浜の街並みをすぐ近くに見下ろすことができるのです。こんなに近いんだ。

銅山峰を目指して下ります。このあたりツツジが有名なところです。紅葉の時期はツツジに鉱山で傷んだ山肌の緑を回復するために植えられたカラマツがきれいなところです。私が行ったときはまだ少し早いかなという感じ。紅葉をとらえて登山するのは本当に難しいです。


銅山峰から少し進んだところから撮影した西赤石山(左)。堂々としていて格好いい。

2日目:別子銅山跡は廃墟ワールド 住友グループの聖地だった

さて銅山峰に着きますと、お地蔵さんがありました。ここから別子銅山跡を巡りながら下山します。
しばらく下りると、銅の鉱山跡がありました。左が初めて掘られた坑道です。歓喜坑と名付けられています。別子銅山は住友グループ発祥の地です。1691年に住友が開発に乗り出し、苦労もありながら財をなしとげたのです。
歓東抗(右)-1.jpg)
周辺にはそこかしこに石積が残されていて、往時を偲ぶことができます。

明治時代には学校も作られたり、大勢の人がこの山間で生活していました。
その間、山崩れがあったり、川の氾濫があったりと、犠牲者を出しながらも栄えてきました。

ダイヤモンド水という水場がある休憩所に着きました。近くにはトイレ(用を足した後、自転車をこいで処理を促す最新式?)もあります。

住友発祥の地だけあって、社員研修の方が多いようです。マイクロバスが何台も待機していました。大企業が自分たちのルーツを大事にする姿勢には正直うらやましいなと思いました。
日浦登山口でお茶を沸かしたりして、ゆっくり過ごし、14時頃の地域バスに乗って新居浜駅へ。あとは特急と新幹線に乗って大阪への帰路につきました。

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