関西の花・3月 賀名生(あのう)梅林 梅の香りがただよう南朝の里


「口の千本」すごい!
「口の千本」すごい!

賀名生(あのう)は奈良県五條市の国道168号線沿いの小さな集落です。ここは南朝の行宮(あんぐう)があった歴史的な場所として知られていますが、こちらには約2万本の賀名生梅林もあり、奈良県の3大梅林の一つに数えられています。
山の斜面全体が梅林で覆われて、点在する家屋が梅林の海の中に飲み込まれそうな圧倒的な風景です。彼方には金剛山のほか、白く輝く大峰山系の山々をのぞむことができます。

アクセスは奈良交通の五條バスセンターから賀名生和田北口バス停までバスで20分前後で到着しますし、マイカーでも臨時駐車場が設けられていて(500円)、安心して訪れることができます。

訪れたきっかけは奈良県の梅林として月ヶ瀬梅渓とともに、有名な梅林として名前があがっていたためです。それも月ヶ瀬の1万本を上回る2万本の梅林とのこと。月ヶ瀬もよかったのですが、賀名生の方が梅林が詰まった感じがして圧倒的な気がしました。また、落ち着いて散策したい方にお勧めしたい梅林です。散策はぐるっと時計回りに登って下りて2時間ほどでした。

臨時駐車場にマイカーを停めて、賀名生梅林へ

臨時駐車場は500円
臨時駐車場は500円

五條市内から車で20分も走り、トンネルを抜けると左手に賀名生の里歴史民俗資料館があります。そこを超え派出所の先に「臨時駐車場」がありました。小さな小屋で番をしている女性に500円払います。地域には多目的広場が無料で開放されているらしいのですが、未確認です。

さて歴史民俗資料館の方に歩いて戻りますと梅林案内図が掲示されています。ルートはすれ違いによる混雑を避けるために、一方通行を勧めています。赤い幟に沿って歩いていけば良いのでルートは明瞭です。

賀名生梅林の入り口
賀名生梅林の入り口

入り口からすぐに左手頭上に梅の花を見ます。おー、すごいなーと思っていたのですが…

あーすごいなあと思っていたら
あーすごいなあと思っていたら

山の斜面全体が梅の花に覆われている!

「口の千本」すごい!
「口の千本」すごい!

右手の景色が広がるにつれ、圧倒的な風景となりました。山の尾根から谷間に向けて滝が流れるかのように、梅林が広がっています!

梅の花
梅の花

賀名生の梅林は、南北朝の時代に公家が梅の花を読んでことがあったようですが、本格的な規模となったのは明治期に果実収穫用に植えられたこと、大正12年東宮殿下のご成婚を機に5千本もの梅が植えられたことなどによるそうです。

土地の人がきちんと手入れされた梅林がどこまでも続きます。道はジグザグを繰り返しながら集落の中を上へとつけられています。どこまで行っても梅林です。

赤い幟を目印に集落につけられた道を行く
赤い幟を目印に集落につけられた道を行く

北側の展望が広がるところでは、金剛山を望めました。なんだかんだ言って、立派な目立つ山ですよね、金剛山って。

金剛山が立派です
金剛山が立派です
梅の花
梅の花

この辺りが「奥の千本」といわれるところだと思います。この辺りの花はまだ少し開ききってない感じがして、奥ゆかしい咲き方をしているように思えました。写真を撮りまくってしまいます。

奥の千本あたりは花が咲き始めの感じ
奥の千本あたりは花が咲き始めの感じ
斜面全てが梅林だ
斜面全てが梅林だ

雪の大峰山系と梅が咲く山村の風景と

村全体が梅林です
村全体が梅林です

「西の千本」あたりで、俯瞰的に集落を見下ろすことができます。ほんのりとピンクに彩られた山の斜面の途中にポツリポツリと家屋があって、「桃源郷」と言う言葉が浮かんできました。素晴らしいな。こんな風景見たことがない。

そう思って視線を上にあげると、白い雪をまとった山が見えました。大峰山系です。右の山の塊でぴょこっと立っているのは大日山ですね。これは全然予想していませんでしたので、テンションが上がりました。
たまたま登山をすると言う女性と「見飽きませんね〜」と楽しい会話をすることができました。毎年この梅林を訪れているそうで、雪の多い年には、大峰山が真っ白に輝いているそうです。

大峰山系 顕著な大日ヶ岳
大峰山系 顕著な大日山

賀名生梅林の雰囲気を動画でどうぞ!

地元産の農産物をお土産に 南朝の文化に触れる

干し椎茸を買った
干し椎茸を買った

散策の途中にも無人販売所で、フキノトウやわらび、干し柿などが売っていましたが、下山してから梅林入口近くの露店で干し椎茸を買いました。これも毎年訪れているという女性が「ここの干し椎茸は長持ちするので、お正月に煮物として使っている」と話しかけられ、勢いで私もザル1杯1,000円の干し椎茸を買いました。水でもどして鍋に入れましたがプリプリの椎茸で、美味しかったです。

賀名生には、南北朝時代に後醍醐天皇が立ち寄ったほか、跡を継いだ後村上天皇の時には一時的に行宮(仮の皇居)が置かれ、足利尊氏が一時的に南朝に服した「正平一統」の際には、わずか数ヶ月のことですが都となった歴史があります。
今回の訪問を機に調べて書いているだけで、私も全く知識はありませんでした。なんという激動の時代でしょう。いまでも皇居跡が保存され、現在はジビエのレストランとして利用されています。

賀名生皇居跡
賀名生皇居跡

元々は「穴生」「穴太」「阿那生」と表記され「あなう」と呼ばれていたそうです。「正平一統」の際に後村上天皇が「願いが叶ってめでたい」と「加名生」(かなう)と改めましたが、土地の人が畏れ多いので「賀名生」と改め、明治期に「あのう」の名称に統一したとのこと。

賀名生(あのう)って普通読めませんよね。こちらの梅林があまりメジャーになっていないのは、読み方が難しいのが一因ではないかと思うのですが、歴史ある土地の名前には、地元の人の誇りも感じさせられます。いまではほっこりした小さな集落ですが、南北朝の時代に歴史上の舞台となっていたとは思いもつきません。
かつての時代に思いをはせることができる梅林の散策はとても良い思いでとなりました。忘れられない、そしてまた訪れたい風景となりました。


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