角幡唯介「地図なき山ー日高山脈49日漂泊行ー」を読む


角幡さんは元早稲田大探検部で元朝日新聞記者。フリーになってから、中国チベットのヤルツァンポ川の屈曲点を探査したり、最近は北極間で犬ぞりを引いて冒険をしている。本文に入る前の一文がとりわけ印象に残った。

あらかじめ行く場所を検索してどんなところかチェックして、実際に行ってみて事前の期待通りだったと安心して、面白かったねと喜びあう。それがいまの旅の姿だ。でも、出会いや発見を求めるのではなく、ただネットで見つけたよさそうな場所だけ素早く見てまわり、他より安いものを求めて買い物するのは旅ではなく、端的に消費である。

おいしいレストランを食べログで検索して3.5以上の店を見つけると並んででも行ってみる。もちろん美味しさや見栄えも良いのだが、何かタスクをクリアするゲームのようだ。
山でも同じかもしれない。みんなが行っているこのルートは一度はいかなくちゃとか。この絶景ポイントに到着したら写真を取らなくちゃとか。下山メシはここが有名だから行っとかなくちゃとか。そしてYAMAPのDOMOで承認欲求を満たす。
そして計画通りに山行を進められたときに、計画遂行の達成感を感じたりする。その時、自分は山の素晴らしさを感じとっているだろうか。

さらに、角幡さんは北極探検のフランクリン隊の船が沈没した場所にきたときに違和感を感じたという。

私が感じたのは、フランクリン隊の男たちが見た風景と、いま自分が見ている風景はちがうという何か決定的ともいえる断絶だった。(中略)客観的にはまったく同じものを見たといってもいい。しかし内実をみると、そこには大きな相違があったといわざるをえなかった。
何がちがったのか。決定的だったのは私が地図を持っていたことである。

そんなこんなで角幡さんにとって全く地理的概念もない日高山脈を「地図なし」で漂泊行する旅を遂行することにしたのでした。本では前半はストイックな気負いと、不安で押しつぶされそうなプレッシャーが感じられ、読んでいるこちらもしんどくなるのですが、「地図なし」に慣れてきた角幡さんが朴訥としたパートナーも巻き込んで段々とリラックスして漂泊する様子が楽しくなってきます。

何日もかけて山旅をすること自体が、勤め人には無理で漂泊そのものは叶わない夢です。またフランクリン隊の沈没地点という劇的な場所に対峙することもありません。

山の中を漂泊できれば楽しいでしょうし、それは夢としておいといてもいいと思います。
逆に実生活において、もっと自分の嗅覚というか直感というか、直面している事象に合わせて行動できるように心がければ、人生は少し豊かになるのではないかなと思いました。

なかなかユニークで楽しく、少し考えさせる本でありました。そして、この本を読んで「テンカラ釣り」を絶対しなくちゃと、思いました(笑)

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