
飯道山(はんどうさん)は、餉令山(かれいさん)、金奇山(きんきさん)とも呼ぼれ、古来より修験道を収める山岳信仰の対象とされてきました。また甲賀忍者の修行場であったとも言われています。
山頂からすぐのところに飯道神社がありますが、ここには飯道寺もありました。かつては神仏習合により栄えましたが、明治維新後に廃寺となりました。最盛期には20ヶ所あまりの坊院が立ち並んでいたとされ、今も石垣が山の中に残っています。
また行場めぐりがあることでも知られていて、「蟻の門渡り」「胎内くぐり」などの修行を登山者も体験することができます。(ただし三点支持で高度にも余裕のある人)
今回はJR貴生川(きぶかわ)からよく整備された道を飯道山まで登り、飯道神社で行場めぐりをして信楽高原鉄道の紫香楽宮跡(しがらきぐうし)駅まで全長14.4kmの駅から駅まで歩く日帰りハイクです。
■滋賀・飯道山 2025/12/16
貴生川駅(8:35/10:45)飯道山(10:45/11:25)飯道神社から行場めぐり(11:35/12:05)飯道神社(12:05/13:50)紫香楽宮跡駅
JR貴生川駅からは、丁寧な道標が続く

東海道線から草津線に乗り換え貴生川(きぶかわ)駅につきました。駅には「つわものの修験場とロマンの霊場 飯道山へようこそ →登山口」の看板がかかっています。飯道山「推し」がすごいです。その後も飯道山かんこう協会の道標がたくさんありました。
とにかく道標に沿って歩いていると、立派な農道を陸橋でわたる所に到達。ポストは登山届ではありません。コンパスでの登山届けが推奨されているようです。案内パンフレットが無料で置かれています。

しばらくは広いよく整備された道を歩きます。途中で右手に一段上がったところにお地蔵さんがありました。ひっそりしていて看板がなければなかなか見つけられないでしょう。「あなたと同じ寂しがり屋のお地蔵さんかもしれません」そんな言葉が添えられていました。

途中で、立派な林道に合流して上がると、トイレが見えてきました。ここで鹿と鉢合わせしました。鹿は驚いて逃げていってくれました。同時に「この辺、クマはいなかったかな?」とやや不安になります。
トイレはきれいで、水を汲んで流す式でした。岩壷不動尊の矢印がありましたので、ちょっと覗くことに。

急な石段を登りきると、奥まったところに不動尊がありました。

林道に戻りずんずん進むと「左羅(さらさ)坂」と看板のある道となりました。これまでは林道といった感じの道でしたが、ここからは石が点在するがれた道となります。

途中で大きな岩塊を見たりしますが、道はその脇を通るだけで、さほど困難ではありません。傾斜がゆるくなるとだんだんと空が広くなってきました。

飯道山の頂上は琵琶湖の展望がよい

明るいところに出たなと思ったら、そこには杖の権現休憩所がありました。飯道神社方面への林道が伸びていますが、ここは上の写真の右手奥の道に上がります。急登でしたが、あと少しだと思うと頑張れるでしょう。

何度かニセのピークに騙されながら(笑)、ようやく飯道山のピークに到着しました。ベンチのうち一番夜露で濡れていないところで、カップラーメンを食します。まだ11時前だけど、家を出るのが早かったからいいでしょう。

頂上からは琵琶湖側の眺めがとても良いです。下の写真は近江富士こと三上山が手前に、琵琶湖の向こうには比良山系の武奈ヶ岳が雪を被って白く輝いています。年末にかけてもう少し雪は降るかしら?そうしたらまた比良にも行きたいな。

頂上でコーヒーも飲んで人心地つきました。お次は行場めぐりだ。
飯道神社の行場めぐりは楽しい

反対方向へ下っていくと、石垣など飯道寺の痕跡が残っています。確かに大きな寺院だったようです。さて飯道神社に着くと、きれいなトイレがありました。さらに奥に進むと飯道神社の本殿がありました。本殿は江戸時代の初期に再建されました。国の重要文化財に指定され、昭和51年に解体修理が行われています。「こんな山の中に」と思うような立派なものでした。

さて楽しみにしていた行場めぐりに行くとしましょう。社務所横の石段の左手に手書きの略図がありました。「体力や技術に不安をい感じられた方は平等岩周辺より引き返して下さい」との注意書き。他にも「単独行はおやめください」旨の看板もありました。

細い小道を下って行きますとまずは「天狗の岩」。ここは、ほー」と見上げて感心するのみです。

続いて「不動の押し分け岩」。岩が押し流されたかのようにせり出しています。その中を黒い矢印が誘っています。「ここは行くしかない」とリュックをデポして空荷で狭い空間に身を投じます。

すぐ「押し出し岩」の目の前にあるのが「平等岩」です。あぶみのような木の板がぶら下がっています。鉄の棒がぐるりと岩を巻いています。これをぐるりと一周せよということか…

こういう趣向は初めてですが、落ち着いてスタンスを確かめながら一周します。これは面白かった〜。たのし〜。でもこれが一番危険どが高いかも。

踏み跡は丁寧に拾って行くと「蟻の門渡り(ありのとわたり)」です。細長いチョックストーンを足場に、岩が積み上がった空間をくぐり抜けて行くもので、渡りの部分は一瞬ですが、左側が切れ落ちていて(ロープなどで転落防止は講じてあります。一応…)シチュエーションとして楽しいポイントです。

もう少し進むと「胎内くぐり」です。岩の間を鎖を頼りに降りていきました。

行場めぐりの略図には「最大の難所」と書かれたところは、多分勢いで登り切ってしまいました。写真はありません。
尾根の上に出ると岩の塊がゴロゴロしています。右手の笹薮につけられた小道を辿ると、本殿裏の東の覗きに通じる道に合流しました。

紫香楽宮跡を訪ねた後は、信楽高原鉄道でJR貴生川に戻る

飯道神社からはスタスタ下って行きますと「飯道山入口」に到着。駐車場があって数台停まっています。
さてそこからはゴルフ場を横目に舗装道路をテクテクと下って行きますと、めちゃ立派な道路と出会います。のどかな田園風景に心癒されながら進んでいますと、今度は新名神高速道路の下をくぐり、交差点を直進して丘を越えてたどり着いたのが「紫香楽宮跡」です。

聖武天皇が恭仁京や紫香楽宮、難波宮を転々とした時代を「彷徨五年(ほうこうごねん)」と呼ぶそうです。京都府南山城の「恭仁京」の後に、都がここ「紫香楽(信楽)」に移されているのですが、なぜこんな非効率なことをしたのでしょうか。当時はやった疫病による社会不安や一部に謀反の動きがあったことの収束を願ってのこととの説が有力だそうです。
紫香楽には大仏が作られる予定だったそうです。その塑像までは出来上がっていのではないかと言われています。その後、大仏の構想は東大寺に引き継がれていったようです。

紫香楽宮を見学したあと、信楽高原鉄道の紫香楽宮跡(しがらきぐうし)駅から列車に乗ります。14時過ぎの便に乗ることができました。

修験道の行場を巡ることができ、巨岩好きにはたまらない山でした。最後は古代の紫香楽宮の歴史にも触れることができました。この地に大仏ができていたかもしれないと考えるとロマンが広がります。そして思い浮かぶ、のどかな田園風景。行きも帰りも電車を利用できましたので、その点でも楽でした。ルートは整備され広い道がほとんどですので、大勢でのハイキングにもおすすめです。
南山城の恭仁京跡を訪ねた山行と、行場めぐりのある笠置のリンクを貼っておきます。
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